I am not needed even tomorrow.
明日なんて来なくていい。…とある性処理奴隷の記録
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DATE: 2010/03/28(日)   CATEGORY: まなびや
ライブ
先日、友人に誘われてかなり久しぶりにSMショーなるものを見に行った。





そこで、初めて「志摩紫光」さんの調教ライブを見た。

ショーではなくて調教ライブ。

ショーというのは段取りがあり、流れがあり、始まりも終わりもあって
その場で一つの世界観を作り上げ完結しなければならない。

そのためには場を盛り上げる為の音楽、効果を狙う照明、どう見せるのか?という演出などが必須で
いいショーにしようと思えば思うほど、練習や打ち合わせ、入念なリハーサルが不可欠になってくる。

SMショーであっても要素はほぼ一緒。

物語があり、技術があり、流れがスムーズで演出効果の高いショーは見ていて飽きないし
ドキドキしたり、終わった後に感動すら覚えてしまう事もある。


そういった意味では、10年以上前に観た故・明智伝鬼さんの弟子だった「明智蕾火」さんのショーはかなり完成度が高く
見ているうちにその世界にズルズルと引き込まれてしまい

終わった後は手のひらが汗でびしょびしょだった。


今まで僕が見た中で最高のSMショー。

残念ながら、あれを超えるショーは今までお目にかかった事がない。


ショーというのは見せる為に作り上げられたもの・・と考えるならば
ライブというはその場での反応の連鎖だといっていい。

予定調和ではない緊張感と真剣勝負。その人の持つ経験値や場の空気でライブは変わる。
ショーにもそういった要素が無いわけではないが、一つの失敗から流れが悪くなり一瞬にして魅力を無くす場合がある。


ただ、僕は自分が舞台と長く関わってきたからなのか
一度崩れた世界観の中でもがく演者に「頑張れ!!」と内心エールを送ってしまう人で(笑)

ショーに魅力がなくても、やりきった演者にちゃんと拍手できる人です。^^;;

だからまぁ・・ショーはいつもゆったり構えて見ているわけですが

調教ライブというのは初の体験で、ショーとはまた違った魅力を体験してきました。


しかも「志摩紫光」さんですよ!雑誌やビデオでしか見た事がない人が目の前で動いてるわけですよ!(笑)

多分、僕がSM関係で覚えた人物の3人目の人物ですから
(一番初めは団鬼六さん、それから故・明智伝鬼さん・・そして志摩紫光さん)

かなり古くからの憧れ的存在なのです。


「志摩紫光」さんについては、みなさんもどこかで一度目にしたり、聞いたりした事はあるんじゃないでしょうか?
「志摩ビデオ」の作品を持ってらっしゃる方もいるかな?それとも雑誌の連載ページの写真で見たとか・・・。

そんな「志摩」さんのビデオや写真を見る度に、失礼ながらも僕は、常々思っていました。



・・・・美しくない。(汗)



縛りも簡素だし、責めが過剰でゴテゴテした感じがあって
「見せる」事を意識したものではない感じ。


それが・・・

そのまま舞台で繰り広げられていると思って下さい。


「見せる」ものではないんです。本当に調教の中の一つのプロセスでしかない。
「志摩」さんにとっては、それが雪山だろうが舞台の上だろうが関係ない。

予定調和ではないから相手の奴隷さんも「志摩さんに出ろ!と言われて出ています」感が最初から出ていて
嘘がない。嘘・・というか隠しようがない。

いきなり大勢の前に引っ張ってこられて、何も聞かされず次々と責めを受ける恐怖感がその場全員に伝わる感じ。
悲鳴も涙も演出ではない本物。

それでも必死に「志摩」さんに従う(しかない)姿が哀れで
何がこの人をそこまでさせるのだろう・・・?と本気で考えてしまう。


それはそれまでの調教と強い信頼がなければ成しえない関係。

そう気付いた時に僕は飼い主様を思い出しました。
きっと僕も飼い主様に「出ろ!」と言われたら「はい」と返事をすると思います。

どんな酷い事をされても、全て受け止めて従います。



だって、僕は飼い主様の所有物で・・・・




飼い主様に絶対服従を誓った家畜だから。




会場に流れるのは、有線から流れるような音楽。
演出など何もない一部だけが明るく照られた舞台。

まずは・・・


1人目。

幅広の皮ベルトで後ろから打たれながら四つん這いでM女性が舞台袖から登場。
バシイイーーーーンという大きな音、最初は四つん這いで上手く歩けたM女性も舞台の真中にきた時には姿勢を大きく崩し

何とかベルトから逃れようと身体をくねらせ、お尻を手でかばうようなしぐさを見せる。

その手をロープでまとめ上げられ、さらにベルトで打たれるM女性。
すでに顔が見にくく苦痛に歪んでいる。

ベルトで打つというよりも「ぶちのめしている」という感じ。

さらに・・

まとめ上げられた両手は、頭上のフックに吊りあげられて大きな乳房をあらわになる。

そこに・・いきなり「針」が・・・
1本や2本でなく、両乳房に4本ずつ・・・針の先端には小さな鈴がついていてM女性が動く度にチリリリと音がする。

その状態で・・こんどはベルトでなく竹で激しく打たれるM女性。
手でかばう事も出来ず、動く度に貫通していない針は乳房の中でチクチクと彼女を責め立てて悲鳴が響き渡る。

そのまま今度は両足首を両手と一緒にまとめ上げられ、彼女の身体は二つ折りになり宙づりに。
隠しようもない尻はさらに竹で打たれ、真っ赤になっていく。

そんな尻に向かって・・火炎放射が行われる。
写真で見ると直に焙っているように見えるが、かなり身体からは距離をとっている。

それでもあれだけ炎から近いと相当な熱さのはずだ。客席の一番後ろにいた僕でさえ「熱気」を感じたくらいだから。
熱さにじっとしていられない彼女は、焙られたスルメのように不自由な身体をくねらせ炎から逃げようとするのだが・・

全ては無駄。

炎に舐められた皮膚はみるみる水ぶくれが出来ていく。

しかし、まだ責めは続く。

手首を拘束したまま、吊りを外され、頭を床につけた状態で逆さづりになった彼女。
そこにまたベルトが打ち下される。

悲鳴に混じって嗚咽が聞こえる。

片方の足首を吊りから外されると、不格好に大股開きになるしかない。

その股間に・・・

これでもか!というほどの激しいベルト打ち。

逃れようと身体を動かせば、乳房の針がさらに深く突き刺さり
「おえっ・・・・おえっ・・・」という嗚咽とともに、涙があふれ出している。


ようやく吊りから下された彼女。
志摩さんに連れられ、お客さんに針を抜いてもらう。

1人2本ずつ。

片方の乳房の針は志摩さんがお客さんに促したものだったが
「後は自分でお願いしろ!」と途中で突き離された彼女。


それにとまどい志摩さんに救いを求める視線を何度か送るが・・全く相手にされず、彼女はヨチヨチと舞台を膝立ちで歩きまわりお客さんに「すいません。針を抜いてもらえますか?」とお願いして回らなければならない。


ようやく両方の乳房から針がなくなると両手を上げた状態で固定され
縄でさるぐつわを咬まされた彼女は俯くことも出来ない。

その状態で、股を開いて立つように命ぜられる。


今度は自分の意思で股を開いていなければならない。
真正面に向いた彼女の真後ろに回った志摩さんは再び鞭をふるう。

「ひい・・ぐううう・・・あああ・・・・」

背中に鞭を受けそれでもじっと立ち続ける彼女。
鞭が股間に及べば、無意識で閉じようとしてしまうのだが・・慌てて足を開きまた鞭を受ける。

痛さに泣きぬれていく顔を俯いて隠す事もできず、太ももを痙攣させながら立ち続ける彼女。




悲惨・・。



そんな言葉がぴったりだろう。

それでも彼女は逃げずに立ち続ける。全ての責めを受け止める事こそがMとしての喜びであり
泣きぬれ、悲鳴を上げながら責めを受け従う姿が主に喜びをもたらす。

その反応の連鎖。
さらに信頼を深めていくプロセスとしての調教。


確かに調教という時間や空間の中で取り交わされる二者間の反応の連鎖は、本来誰かに見せるものではなく
そこで完結してしまえばいいとも思うのだが・・

こうして大勢に取り囲まれた舞台で「責めを受け、主に従う姿」を見られるというのは
一つの奴隷宣言のような気がする。



最後まで鞭をうけ立ち続けた彼女は、髪の毛を掴まれ舞台袖に連れられていった。

その絶対的な支配、隷属関係もまた・・見ていてゾクゾクするものがあった。



二人目も同じような印象を受けた。

乳首に錘をぶら下げられ、舞台の真ん中で見世物のように3周グルグルと回らなければならない惨めさや・・
縄ではなく、もっと辛い鎖での緊縛、吊り・・それもお尻に2本吹き矢の矢が刺さったままだ。


乳首の錘が外されたかと思えば注射器をつけたままの注射針が乳首に突きたてられ
矢を抜かれ、血が流れ落ちる尻に鞭が振り下ろされる。


反応は大きくないが、すすり泣きながら責めに耐え、従う姿が痛々しい。



本当にライブだった。
次の責めに移る時に見せる奴隷さんの視線が何よりもそれを物語っていた。

志摩さんを追いかけるその視線は怯え、不安と恐怖に満ちたものだった。

ショーであればだいたいの段取りや流れは両方の演者の頭に入っているから、あんな目は出来ない。



僕も飼い主様の前であんな目をしているのだろうか?




飼い主様にはこの日調教ライブを見る事は告げてあった。

会場を後にしてすぐ飼い主様にメールをした。
ライブの報告よりも何よりも・・飼い主様を求めて仕方なかった。




相乗効果。
反応の連鎖。

僕もその中に放り込まれてしまったのだ。



「飼い主様に鞭を打っていただきたくて仕方ないです」



メールを打ち終わって、僕は・・・
「従う」場がある事を飼い主様に感謝した。

そして、より深く飼い主様に服従する事を誓い・・・

すっかり暗くなってしまった家畜小屋へ戻る道を急いだ。
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